こんにちは、デザイナーのモリンガです。
新生活シーズンということで、今回は今更ながら自分の経歴について振り返ってみようと思います。
私はデザイナーになる前に魚屋→営業→デザイナーという、なかなかに不思議なルートを辿ってきました。
以前書いた記事で「無駄な経験や知識は何もない」とお伝えしたのですが、今回はそれをより具体的に書いてみます。これからキャリアに悩む方や、異業種からクリエイターを目指す方の何かヒントになれば幸いです。
INDEX
学生時代 ── 「絵で生きていく」しか見えなかった頃
私は高校・短大と、ずっとイラストを学んでいました。当時はデザイナーというより、ものづくり系の仕事に就きたい→得意な絵で勝負!という発想だったんだと思います。絵以外で働くことなんて、正直考えたこともありませんでした。
成績もそこそこ、やりたいことは大体できていたので、「このままの流れで人生が続くんだろうな」と、のんきに構えていました。
ただ、いざ就活が始まってみると就活の仕方がそもそもわからず、応募を繰り返しても手応えがない日々が続き「これ、まずいのでは…?」と焦り始めました。
結局努力の仕方自体がわからないまま、なんとか一社だけ最終試験までこぎつけたものの、結果は不合格。
しかも自分だけでなく、周りも就活で苦戦していた時期で、バイトすら決まらないような状況でした。
ここでの学び
この時からものづくりを仕事にしたいと思い、漠然とクリエイターを目指していた私は、就活に失敗したことで「好きなことがあるだけでは、仕事にはならない」と、身をもって知った時期でした。
でも、この失敗がとんでもない遠回りをした後に実ることになります。人生何とかなる。
魚屋時代 ── 予想外の場所で得た「働く基礎力」

就活もバイトもうまくいかない中、たまたま行ったスーパーでバイト募集の張り紙を発見。バイトを探しているとお伝えしたところ、即日面接していただけることになりました。
面接で「水産部ってなんですか?」と聞いてしまったがために、配属はまさかの水産部(いわゆるお魚屋さん)に。
改めて思うけど、そんなことあります?
朝5時起き、6時前に出勤、週6で1日6時間労働。
バイト自体も初めてで、しかも今まで全く触れたことのない世界でした。超ハードでしたが、不思議と楽しかったです。今思うと、若さでなんとかなっていた気もします。
帰宅後はスキルアップのために絵を描いたり、賞に応募したりする日々を送っていました。
ここでの学び
魚屋では、自分の親や祖父母くらいの年齢の方々と一緒に働きました。
そこで身についたのが、
- 仕事は盗むもの=「人の仕事も済ませる」「人のやり方を見て真似る」の2つの盗み方がある
- ちょっとでも仕事が目に入ったら、“もののついで”のマインドでこなす
という仕事への姿勢です。
デザインとも絵とも全く関係のない場所でしたが、社会人としての土台はここで作られたように思います。
営業時代 ── 「届ける力」を学びに飛び込んだ世界
家の事情で宮崎に戻ることになり、楽しい魚屋ライフも終わりを迎えました。
宮崎行きの便を待っている時、魚屋の同僚から電話で「あんたならどこでもやっていけるで〜」と言ってもらえたのは、今でも大切な思い出です。
さて、宮崎に帰ってからも絵の道を諦められなかった私は、知り合いから似顔絵の依頼をもらうなどしていました。ですが、全然仕事と言えるレベルではなく、収入もほとんどありませんでした。
周りのイラストレーターさんと比べてみても、スキル的にめちゃくちゃ劣っているわけではなさそう(デッサンも習っていたし、スキルも磨いてきたはず)なのに、何故?
ここでようやく気づきました。「いいものには自然と価値がつく」わけではないということに。
「いいものを作れば売れる」ではなく「届ける力が必要」ということに気づけたのは、大きな転機でした。

そこで自分に何が足りないのか考えた結果、「ビジネスの考え方」「人脈」「ものを売るスキル」という答えに辿り着きました。
そのため、営業職に挑戦しようと決意。ちょうど求人が出ていたので、雑誌の広告営業に応募し、採用していただくことができました。
私は内向的な性格でしたが、魚屋に行く前もバイトで断られ続け、絵の仕事でも鳴かず飛ばずだったので、「採用していただけるならなんでもします」の気持ちで飛び込みました。
内向的でも、飛び込み営業は意外と楽しかった

飛び込み営業はただでさえ大変なので、内向的な自分には絶対向かないと思っていましたが、やってみたら結構楽しかったので意外でした。自分は人が好きだということにも気づけたし、宮崎の事業者さんたちが頑張っている姿に刺激を受けましたし、その方々を応援できるのも楽しかったです。
また、この時の職務内容はちょっと変わっていました。飛び込み営業をメインに、打ち合わせ、原稿の文章書き、デザイナーさんやカメラマンさんのアサインなど、ディレクションに近い役回りもありました。
この職務内容のおかげでいろんな職種を一通り体験できたことも、今思うととても貴重な経験でした。
まず経験するって、大事!
ただ、充実した日々が続いていた矢先、病気を患い手術をすることに。しかも入院中にコロナ禍が始まってしまい、この時期の私は不安で胸がいっぱいな日々を過ごしていました。
そんな私を見た上司のひと言が、私にとって次の転機となりました。
「デザインソフトも触れるし絵も描ける。じゃあデザイナーを目指したら?」
そして職業訓練校の情報や退職後の手続きなど、とにかくいろんな手を尽くしてくださり…本当に感謝しています。
ここでの学び
営業時代に学んだのは、「ものを届ける側の視点」と「目の前のことを全力でやる姿勢」でした。
飛び込み営業で鍛えたコミュニケーション力、ディレクション的な動き方、そして一緒に働く人への気配り。
デザイナーとして働く今、依頼者や制作メンバーとのやりとりでこの経験がフルに活きています。
職業訓練校時代 ── 3度目の正直、ついにデザイナーへ
営業時代の上司のおかげで、私はいよいよ職業訓練校でデザインを学ぶことになりました。
それまでイラストしか知らなかった自分ですが、学んでみたらデザインもすごく楽しかったです。(ここで初めて「デザイン」をちゃんと学びました。)
3度目の就活、GMOインターネット株式会社との出会い
大学卒業時、帰郷後と、2回クリエイターを諦めている過去があったので、「またダメかもしれない」という気持ちはずっとありましたが、ありがたいことに内定をいただけました!
人生にはタイミングがあって、そこさえ合えばとんとん拍子で進むこともあるということを、ここで実感しました。
だから、やりたいことは簡単に捨てずにとっておくべきだと、心から思います。
ちなみにGMOインターネット株式会社に入社を決めた理由は、会社見学でした。
いくつかの会社を見学させていただいた中で、働いている方が一番生き生きしていたからです。
この選び方は正解だったと、今でも思っています。
ここでの学び
職業訓練校時代に学んだのは、「タイミングを信じて、やりたいことを持ち続けることの大切さ」でした。
2回諦めても3度目で道が開けたのは、どこかで「やりたい」を手放さなかったから。
そして、職場選びでは条件や待遇だけでなく、「そこで働く人の表情」を見ることが、何より確かな判断基準になると実感しました。
おわりに

魚屋、営業、職業訓練校…振り返ると、本当に遠回りをしてきたように思います。
ただ、どの経験も今のデザイナーとしての自分を支えてくれていると感じています。
魚屋で学んだ「見て盗む力」、営業で学んだ「届ける視点」、そして何度諦めても持ち続けた「つくりたい」という気持ち。
もし今、キャリアに迷っている方がいたら、無駄な経験は何もないということ。そしてやりたいことは簡単に捨てなくていいということを、この記事からお伝えできたら嬉しいです。ほんと、人生いくらでもなんとかなるんで!
ここまで読んでくださりありがとうございました!
ではまた次の記事でお会いしましょう!